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コスモス会は、五井先生提唱の「世界平和の祈り」を実践しているグループです


世界人類が平和でありますように

 相対の世界を超えた平和運動A   尾崎晃久



 反戦運動と祈りによる世界平和運動の違い

 このことと少し関連する事かもしれませんが、五井先生は、反戦運動と祈りによる世界平和運動とはどう違うのか、ということを話されていました。五井先生の祈りによる世界平和運動は、この世の相対的な立場に立って、「軍備反対!戦争反対!なんとか反対!」と声高に叫んで、何かに抗議していくという運動ではありません。
 五井先生が、昔アメリカに行かれたことがありましたが、向こうのクリスチャンなどの宗教者がやっている平和運動というのは反戦運動で、反戦連盟に入って、政府に対抗しているわけです。宗教者であれば、誰しも人の命を殺す戦争に反対、反戦なのは当たり前です。
 ところが、その反対ということを前面に出して「戦争、反対!反対!」と熱心にやっていくと、この世の中は相対的な世界だから、敵が現れてきてしまう。戦争自体に賛成というのではないのだけれども、平和のために戦争をしなければいけない、共産主義を倒さなければいけない、軍備が必要だ、そういう立場の人もいて、そこでまた主義・主張がぶつかって、対立してしまうわけです。
 どちらが正しいのかと言うと、反戦の方が正しいに決まっているのです。だけれども、相対的な立場に立って、一方の側、片方の側に組(くみ)して、相手を非難するというやり方では、必ず敵が出来ますので、またそこで、世界が二つに分かれ、争いの波が起きてしまうわけです。
 祈りによる世界平和運動は、反対!反対!と叫んで、プラカードを持ってデモをするとか、ビラを撒(ま)くような運動ではありません。大調和を旨とした運動です。大調和というのは何かと言うと、あらゆるものに敵を見ないということです。一遍、「世界人類が平和でありますように」という祈り言を通して神様の中に入って、この世の相対的な、ガチャガチャした対立の世界から抜け出ないといけません。
 いくら相対的な世界で、反対して抗議しても、戦争を引き起こしている巨大な国家の業の波が浄まらなければ、政府は戦争を止めないで続けてしまいます。多くの人達が、世界平和の祈りを祈って神様の御心の中に入ることによって、肉体人間の力を遙(はる)かに超えた、救世の神々の力が、あらゆる方面に働きかけ、世界平和のための絶大な働きをすることになるわけです。
 それで、アメリカで反戦運動をしていたキリスト教のクエーカーの指導者が、五井先生にお会いして感激して、五井先生のようなやり方でないと、本当に世界は平和にならないということがわかって、「どうぞ、一緒にやってください、導いてください」と言ってきたという話がありました。
 反戦運動と祈りによる世界平和運動の違いというのは、中々難しいかもしれませんが、五井先生の平和運動の根幹をなすところであると思いますので、よく理解しておく必要があります。

業想念を消し去る運動

 五井先生の講話集『責めてはいけません』の中に、このように書かれています。

「平和運動というと、衆を集めて会を開き、討論をし、決議案を出して、声明したり、反対賛成の抗議をしたり、あるいはデモをしたりするように考えられがちですが、本当の平和運動というのは業想念を消し去る運動が一番で、業想念の波つまり神様のみ心に反する、愛と真というものに反する想いが一杯この世の中にある。争いの想い、憎しみの想いという不調和の想いが一杯ある。そういう想いがあるうちは、どんな決議を出してもだめなんですね。」

「(私達は)まず業想念を消し去る運動をやっているわけです。(中略)現在世界平和を祈る会の第一段階としては、自分の業想念も周囲の業想念も、世界人類の業想念も全部含めて、業の世界を浄めてしまうという運動なのですよ。それにはどうしたらよいか。只抗議をしたってだめだし、鉢巻をして座りこんでもだめでしょ。只プラカードをもって歩いたってだめです。ただ祈ることより他にないです。」

 確かに、抗議をすることで、相手が誤った行為を改めるケースもあるでしょう。しかし、その人達や集団、国家が業の渦の中に入り込んでしまっている場合、業の上から、いくら叱責をして抗議をしても、どうにもならないで、かえって、益々相手が反発をして、敵対してくるということもよくあります。
 ですから、本当にこの世の中を良くしようと思ったら、人類の業の波を浄めるということが一番大事なのです。業想念を消し去る方法というのは、人間が相対の世界を超えて、神様の愛と調和の響きを響かせる事だけだと思います。その一番優しい方法が消えてゆく姿で世界平和の祈りです。
 一般に、正義心が強い人ほど、この世の悪や不正を糾弾する想いや、憤る想いが強いと思います。悪や不正を嫌って、もっとよりより世界にしたいと願うのは、人間の自然な感情だと思います。 しかし、それが、他を敵視し、悪を憎む感情になると、やはり、神様の大調和精神から外れた、自分の本心を汚すものになってしまうのです。ですから、その想いも消えてゆく姿にして、自他の業想念を全部、守護霊様、守護神様、世界平和の祈りの大光明によって、日々浄めて頂こう、という運動を私達はしているのです。
 プラカードをもってデモ行進をしたり、現実の具体的な問題に関して、討論をし、抗議活動をしたりというのは派手で、積極的なような感じがして、お祈りなどというと、消極的な感じがするという人もいると思います。
 しかし、実際は逆で、祈りほど、世界平和に絶大なる力を発揮するものは他にないのです。そのことを、私達は確信を持って多くの人に伝えていかなければいけないと思います。

 

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(風韻誌2011年9月号収録)