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コスモス会は、五井先生提唱の「世界平和の祈り」を実践しているグループです


世界人類が平和でありますように

 最高の行の道   木村純子



 五井先生の昔のご法話テープをAさんから四十巻ほどお借りして、順番に少しずつ拝聴しています。ついつい一本のテープを何回も聴き直してしまいますので、なかなか前に進まないのですが、同じお話であっても、聞く度に感じるところが変わってくるものだなぁと、毎回新鮮な発見があります。今後、集会所などでも、このテープを活用していきたいと思っています。
 先日拝聴していたテープの中で、五井先生がこのようなお話をされていて、大変ドキッとしました。
「人によっては、うちの会のやり方には行(ぎょう)がないから、行をどこかで積んでこないと、と言う人がいるんですね。ところがね、行というのは、“本当に消えてゆく姿”と思って、自分の想いが揺るがなくなる、想いが乱れなくなるまでには、大変な想いの行がいるんですよ。ただ単に、山に籠って滝に当たったり、呼吸法をやったりするだけが行だと思ったらとんでもない。
 日常の当たり前の生活の中で、“これは本当に消えてゆく姿なんだな。あるものは神様の生命だけなんだな。光だけなんだな。正しいことだけがあるんだな”と心から本当に決定(けつじょう)して思えるようになるには、大変な修行がいるんです。その想う練習が大変な修行です。うちの会に行がないと言う人は何も分かってない。自分が行をやろうと思ってないんですよ。ただ自己の満足、自分の気を紛らわせるために、何かやらないと気が紛れないと思っているだけです。
 うちの会のやり方は、日常茶飯事、一瞬一刻が行です。行の積み重ねが『消えてゆく姿で世界平和の祈り』なんですよ」と、このようにお話し下さっていました。
 これは正に以前の私のことでして、お祈りだけでは何か達成感のない物足りなさを感じた頃がありました。例えば座禅をしたりすると、いかにも行をやっているという満足感を得ることができます。このように肉体的な充足感を欲している頃がありました。
 しかし、五井先生がお話し下さっていますように、それはただの自己満足、何かやらないと気が済まないという想いをただ単に満足させているだけであって、その場限りのことなんだなと思いました。
 “日常茶飯事、一瞬一刻が行です”と、五井先生がお話し下さったように、日常生活というのは、様々なことが目の前に起こってきます。自分一人静かに山に籠っているというわけにはいきません。子供のことであったり、家族のことであったり、仕事の問題や病気の心配と、心静かに過ごせないことが、次から次へと起こってきます。いくら山に籠って修行をしたとしても、そういう時に心が動揺して右往左往するようでは、本当の安心は得られないと思いました。
 日常生活の中で何があっても自分の想いが乱れず、“あー全ては消えてゆく姿なんだな。あるのは神様だけなんだな。ありがとうございます”と思って、全てを肯定して生きていけるようになるには、大変な想いの行の積み重ねがいると感じています。そして、この心の修行こそが最も大事なことであって、これ以外に本当の安心立命を得ることはできないと思います。
 五井先生が、「皆さんも過去世においては、それはそれは大変な修行をしてきているんですよ。だから今は、全託行だけでいいんです。過去世の修行は、最後に磨きをかけるための全託行になって“全て神様のみ心に投げ出せる”ということになるわけです。小さな修行から厳しい修行まで段階がありましてね。そして最後は、全て神様に全託するというところまでくるんですよ。スパッと神様に全託できる人は、過去世でさんざん修行しているんですよ。だから、今さら呼吸法をやったり滝に当たったり小さい修行をする必要はないんですよ」と、お話し下さっていて、“そうなんだ!何か他に行をしていないと寂しいような、頼りないように感じていた想いは、全て過去世の消えてゆく姿だったんだ!”と思いました。「世界平和の祈り」を祈れるようになったということは、ここに到達するまでの過去世の方々の大変なご修行があったのです。その長い長い魂の積み重ねが、「消えてゆく姿で世界平和の祈り」となって、今私が祈らせて頂いていると思うと、今までにない感動が湧き上がってきました。
「『世界人類が平和でありますように』と祈っている時は、自分というものが世界人類の中に入っているんですよ。『世界人類の平和』というのは、神様の大み心だから、祈っている時は神様のみ心の中に入ってしまっているのです」と、元海先生は常々お話し下さっています。
「世界平和」を祈っている時は、自分というものもなく、他の人もなく、何もなく、神様の大み心だけがあるんだなぁと思いました。全て神様に投げ出す―それは、日常の一瞬一瞬を「世界平和の祈り」の中に入れていくことなんだと思います。
「消えてゆく姿で世界平和の祈り」という最高の行に到達させて頂けたことに感謝して、本当に大事なことだけに焦点を当てて、日常生活を送っていきたいと思いました。 



(風韻誌2010年7月号収録)