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コスモス会は、五井先生提唱の「世界平和の祈り」を実践しているグループです


世界人類が平和でありますように

 神様の生命が真実の自分A   尾崎晃久



 真実の私は神様の生命

  話を、先ほどの五井先生のご法話に戻しますが、肉体に宿っている神様の生命というのが、実は真実の自分であるわけですね。
 人間というのは、天から神の分け命として生まれてきているものであって、大神様の大生命より分かれた分霊であって、単なる肉体だけの存在ではないのです。肉体というのは、神様の生命がこの世において、愛と調和の世界を創り上げるための器であり、場であるわけですね。
 ところが大半の人は、自分を神様より来た生命だと思わないで、肉体と肉体にまつわる想いが自分の全存在だと思って、お釈迦様の言葉でいえば、顛倒妄想(てんどうもうそう)して、肉体の自分が偉いとか、駄目だとか、ああでもない、こうでもないとやっているわけですね。ほとんどの人がそう思って生きている。その波の中で私たちも生活しているのですから、私たちは五井先生から教わった根本の真理を絶えず確認していく必要があります。
 「真実の私は肉体じゃなくて、神様の生命なんだな。神様の生命を生きているんだな、神様が自分というものになって、自分という体になって、ここに生きていらっしゃるんだな、神様の何の誰子なんだな」というようなことを、念仏のように繰り返し思う必要があるんです、と先生は仰っておられました。
 何の誰子というのを、自分の名前に置き換えて、実際に言葉に出して言ってみると良いと思います。私であれば、神様が、神様の生命が、ここにこうして尾崎晃久となって生きているんだな、有難うございます、本心さんありがとうございます、守護霊さん、守護神さんありがとうございます。こう思うんですね。
 だけども、いくらあなたは神様の生命だと言われても、そう思えないものが人間の中にはあります。
 やっぱり、気弱であったり、短気であったり、そういう肉体にまつわる性癖(せいへき)を自分だと思って、駄目だ駄目だと自分を卑下する思いや、反対に肉体の自分をよく見せよう、威張ろうという想いがあるわけですね。それは、何かと言うと、過去世において、自分が神様の生命であるという真理を知らなかった頃の想いが、今どんどん現れて消えてゆく姿であるわけです。
 過去世において、神様から離れて、自分は偉いとか、自分は駄目だとか思っていた想いが、幽体、潜在意識に一杯蓄積されている、それがずっと中に溜まったままだと、その人の神性顕現の妨げになりますから、守護霊様、守護神様の光によって照らし出されて、中に溜まっていた想いが、どんどん表面に浮かんで、外に出されて消えていくわけです。
 だから改めて、私たちの方も、「ああ、これは消えてゆく姿なんだ、本当の自分ではないんだ」と否定して、自分は単なる肉体の人間じゃなくて、神様の生命だったんだと思って、世界平和の祈りを祈って、守護霊、守護神への感謝を通して、神様の中に入ってしまえば、悪いものはみんな消えてしまう。神様の生命がそのまま肉体に現れてくる、こういうことであるわけです。そういうシンプルなことを倦(う)まず撓(たゆ)まず繰り返していくことが大事です。 
 最初の頃は、こういう五井先生の話を聞いても、自分が神様の分け生命だとは思えない、という人もいると思います。それももっともで、無理のないことだと思います。そういう場合は、思えないなら思えないままでいいから、世界平和の祈りを祈ること、神様への感謝、守護霊様、守護神様への感謝を優先させていくのがいいと思います。祈って、神様の中に飛び込んでゆけば、どんどん想いが浄まって、神様の生命が生き生きと輝きだしますから、自然と、祈りの中から、自分が神様の生命であるということが実感されてくる、ああ、本当にそうなんだと無理なく思えてくる時期が必ずきます。焦ることはありません。 
 世界平和の祈り言葉の中に、私たちの天命が完うされますように、という一節があります。天命というのは、天からの使命という意味ですが、天から来た命という意味でもあります。ですから、私たちの内なる神様の生命が完うされますように、私たちを通して、神様の生命が十分に生きますように、現れますように、こういう祈りでもあるわけですね。
 ですから、私の天命はなんだろうと難しく考える人もいるかもしれませんが、普段の生活の中で生命生き生きと、明るくおおらかに生きていることが、すでに天命を完うしていることになるのです。そして、この世界平和の祈りを祈っているということが、地球界に光を振りまき、世界平和を創り出している、最大限命を生かしている、現しているという生き方になるわけです。
 ですから、とにもかくにも、この世界平和の祈りを祈っていただきたいと思います。世界平和の祈りを祈り、守護の神霊に感謝し、人事を尽くす生きかたをしていれば、必ず神様は良き方へ導いてくださいます。天命完うの方向へ導いてくださいます。
 もっと自信を持って生きて参りましょう。
 私の話は以上です。どうも有難うございました。

 

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(風韻誌2012年1月号収録)