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コスモス会は、五井先生提唱の「世界平和の祈り」を実践しているグループです


世界人類が平和でありますように

 新春法話 全託の道を生きる   尾崎元海



 一歩一歩を大切に

 2007年を迎えるに当たって、改めて、五井先生が説かれた全託への道について説明をしたいと思います。
 人間というものは、大生命の個生命、神の分霊(わけみたま)という全能全智、完全円満なる光がその人を通して生きているわけですから、本来であれば、そのままで全託の生き方ということになるのですが、現実問題としては、そうはいきません。何故そういかないかと言いますと、「自分が生きているんだ、自分の力で何もかもやっているんだ」という自我の想いが、内なる神性の働きを邪魔しているからです。この想念波動というのは善悪混合で、その割合によって、この世の幸、不幸という形になっているわけですね。
 これからの世界というのは、過去世から積み重ねた因縁因果の波動圏を超えて、人間の最奥(さいおう)にある本心(本体)のまま生きることによって、大調和世界をこの世に映し出す時代になってきているわけです。そのためには潜在意識から表面意識に次々と現われてくる想念波動の渦を超え、本心の世界に戻らねばなりません。
 この最も易しい方法が「消えてゆく姿で世界平和の祈り」の行法なんですね。肉体頭脳に現われる良い私という想いも、悪い私という想いも全て過去世の因縁の消えてゆく姿として、消えてゆくんだと思い定め、「世界平和の祈り」の大光明の中に入ってゆくわけです。このことを守護霊、守護神様への感謝の心を基(もと)に実践していきますと、潜在意識の浄まりと共に、だんだんと、自己が光の世界にあることが実感され、守護霊、守護神様と一緒だと、自然と思えるようになってくるんですね。
 これが極まってくれば、私と神様(本心)、私と守護の神霊、私と大宇宙に遍満する絶対者(大生命・五井先生)は一如だということが体覚されるわけです。もとより、このことは一遍にいくものではありませんが、その途中過程を一歩一歩楽しんで実行していくのが五井先生の道なんですね。

 ゆったりした心で行じよう

 何事もそうですが、焦り心は禁物です。「ゆったりした心で一歩一歩」を進んでいくということですね。今、「ゆったりした心で」と申しましたが、五井先生が提唱された「世界平和の祈り」の道は、念仏一念の道と同じように、一度でも「世界人類が平和でありますように・・・・・・」と祈れば、その人の魂は救いに与って(あずかって)いるんです。
 この「世界平和の祈り」は、「世界人類よ平和であれ、大調和であれ」という大神様の人類救済の大本の世界からの大光明であり、本心(直霊)そのものの響き(光)なんです。その人が一度でも祈り言を唱えるということは、本心を見出したわけですね。そう致しますと、それ以後のお祈りは感謝報恩の「世界平和の祈り」ということになりまして、想いを力ませないで、守護霊・守護神様に感謝し、「消えてゆく姿」の教えも無理なく行じられてくるんです。
 この「消えてゆく姿」という教えは五井先生独特の表現ですが、これは、守護霊、守護神様がその人の過去世からの業想念を相当部分引き受けてくださって、残りの一部を魂の進化のために、小間切れにした形で消してくださっているという赦しの言葉なんですね。ですから、消えてゆく姿であると思う時は、守護の神霊への感謝の心で、「小さい形で業を消し去って下さり、内なる神様(生命)の働きを大きく現してくださってありがとうございます」という心で使うべきですね。

 他力によって生かされている

 
 全託の道というのは、本格的な全託者になると、神様のみ心の中に入ったまま、全ての現われに対して全感謝で生きるということで、そう簡単にはなれるものではありません。五井先生のように、肉体の頭では思考されず、神のみ心のまま一挙手一投足が為されるということは、普通の人には出来ませんが、「消えてゆく姿で世界平和の祈り」は、一歩一歩、全託への道を着実に歩ませていただけるんですね。
 この全託ということについては、五井先生がご著書『宗教問答』(白光出版)に、「宇宙万有、すべて肉体人間自身の力で創ったものではなく、いかなる生命といえど自然に創られてゆくものであることを、よくよく考えること・・・・・・」と書いて下さっていますが、この最も大事なことをしっかり考えなければいけないと思います。
 肉体身だけを考えてもわかる通り、食物や水や空気や地球、太陽のエネルギーがなければ、我々は一瞬として存在できません。又、人間の生命というのも、自分の想いで作ったものではなく、肉体人間側から見れば、尊いいのちの力によって生かされているんですね。これだけを考えただけでも、人間というのは、百パーセント、他力の力によってその存在が保たれているわけです。
 そうしますと肉体人間は、「神様ありがとうございます。大いなるいのち様、ありがとうございます」と、全感謝の心で生きるのが真っ当な姿ということですね。ところが、これが出来ないんですよ。自分に都合の良いことが現れると、ちょっとは感謝しますが、そうでなければ文句を言ってるんですね。

 守護霊、守護神様に心からの感謝を
 
 そういう人間(分霊魂魄)に替わって、守護霊、守護神様が天地万物の生命、神様に対して、いつも感謝して下さっているんです。「わがままな肉体人間に対して、尊いいのちを提供して下さってありがとうございます。大神様、尊い生命を流し入れて下さって本当に申し訳ありません。」と、四六時中、御礼を申し上げて下さっているわけです。
 五井先生が常に仰っておられたことですが、「守護霊、守護神様が全て為さって下さっているんだから、肉体の方はいつも守護の神霊に感謝するんだよ」ということを肝に銘じていかなければと、つくづく思わずにはおれません。「世界平和の祈り」に対しましても、肉体側としては、「人類救済の大光明を通す働きをさせて下さってありがとうございます」という心で、祈らせていただくという気持ちが一番大切なことですね。
 この肉体世界で生きていますと、色々なことが起ってきます。何事何物にも把われないで、自他を愛し、自他を赦しきっていくことが出来れば申し分ないのですが、一般には中々そうはいきません。
 そこで、五井先生が仰っておられたように、良いことがあれば、「守護霊さんが為さってくださったんだ。ありがとうございます。」と思い、悪いことがあれば、「これで過去世の業が浄まったんだ。ありがとうございます」と守護霊さんに感謝する。人様に対して良い行為が出来れば、「守護霊さんがして下さったんだな、ありがたいことだな」と思い、間違った行為をしてしまった時は、「守護霊さん、過去世の業を消して下さってありがとうございます。これからは充分注意して人様に接していきますから」と思う練習が大事ですね。


(風韻誌2007年1月号掲載分より抜粋)


   元海先生法話

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  4. 音声