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コスモス会は、五井先生提唱の「世界平和の祈り」を実践しているグループです


世界人類が平和でありますように

 秋光法話 平和の氣に徹すれば全てが開く     尾崎元海



 平和の大切さについて

 この間、NHKテレビでエルサレムを紹介していました。ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の聖地が一つになった場所ですね。その場所が大調和の氣に満たされているかというと、誰が見てもそうは思えませんよね。モーセ、イエス、マホメットの御三方は、今、何を思っているでしょうね。この地球界に神の理念を映し出そうという目的で肉体生命を投げ出されて道を説かれたわけですから、今の状態を良しとしているわけがないと思います。中東の宗教対立の業の凄さは尋常ではありませんからね。
 それに対して、東方に位置する日本はというと、難しい問題も抱えてはいますけど、国民の多くが、戦争はもう嫌だという気持ちを強く持っています。今年の八月はテレビでたくさんの太平洋戦争の特集を組んでいましたが、そういう番組を見ていると、まともな人であれば、どんなことがあっても戦争は二度とやってはいけないと思うんじゃないでしょうか。
『徹子の部屋』という番組で元プロ野球の名選手だった張本勲(いさお)さんが話してましたが、聞いていて涙が出て止まりませんでした。彼が三、四歳の頃、広島の爆心地のすぐ近くの工場で働いていたお姉さんが亡くなり、ご自身も被害に遭われたんですね。そういうハンディを持ちながら野球界で活躍されたわけで、偉いなと思います。張本さんが涙をこらえて平和の大切さを話されてましたけど、体験からきたその話は説得力がありました。それともう一つ、戦艦大和の最後の出撃に乗り、九死に一生を得た八十代のおじいさんが別の番組で話してましたが、この人の話も心に染み入るものがありましたね。
 今回総理になられた安倍さんも、戦争の悲惨さは充分理解されているでしょうが、魂の奥底で平和の大切さを体されて、日本国を世界の平和の中心の国へと運んでいただきたいですね。政治家は何党の人でもそうあってもらわねば困りますが、経済界のリーダー、学者、文化人のリーダー、その他、各界のリーダーの人達が心して平和の精神に徹して、多くの国民に平和の大切さを伝えていただきたいと思います。

 画期的な平和運動

 五井先生が提唱された「消えてゆく姿で世界平和の祈り」は、人間の真実の姿を根本におかれた真の平和世界を作り上げる画期的な平和運動なんです。これまでの平和運動は、人間を肉体身と限定したところから生じた、イデオロギーを基にしたもので、お互いの思想が対立するという状態であったわけです。それに対して、五井先生が説かれた道は、人間は本来神の分霊(神の子)であり、完全円満なる者であるという根本理念に立っての平和の道なんです。人間は肉体身だけではなく、その奥に各種な体(幽体、霊体、神体)を持っているもので、その真実は「本心(神我)」であると仰っておられるんです。
 五井先生の短歌に「世界平和祈るは神のみ心のひびきにあれば祈る楽しさ」と、端的に「世界平和の祈り」の本質を表現されたものがありますが、「世界人類が平和でありますように」の祈り言を唱えていけば、一遍にはいきませんが、だんだんと祈る楽しさという心境になってくるんですね。

 人間は業生ではない

 
 人間というものは業生ではありません。業生というのは、肉体と肉体にまつわる感情や想念の全てを言うんです。誰でもありますね。好きだとか嫌いだとか、これが得か損かとか、ああでもない、こうでもないとか、あるいは心の中に人と争う想いがあったり、人を自分の思うとおりに動かしたいとか、そういう習慣性の想いが次から次へと表面に出てきますよね。これは名案だという良いという想いも含めて、皆消えてゆく姿なんですね。
 そういう消えてゆく姿の想いを本物と思って動いていたのでは、いつまでたっても本心が表面に現れてきませんでしょう。そこで、全ての想念、感情を祈りの中に入れるんです。「世界人類が平和でありますように。私たちの天命が完うされますように。神様のみ心、いのちが光り輝いて現われますように」と祈れば、大光明が流れ入ってきて、悪い習慣をどんどん消してくれるんです。習慣の想いで動いているようでは、だめなんですね。本心の中に常に戻っていると、中から智慧が出てくるんです。
 商売や事業でもそうで、目先の損得に振り回された考えで動いてしまったりしたら大変なことになってしまいます。芸術創作でもそうで、世間的評価を気にして作った作品というのは、つまらないものになってしまいますからね。政治の世界も同じで、大臣の椅子にしがみついて保身ばかり考えていると、国家の天命完うへの道とは逆のとんでもない判断をしてしまうことが多々あるんですね。
 そういうように、家庭の場合でも、親子、夫婦や友人関係でも、自分中心に物事を進めたら大きな不調和が生じてきますからね。自分ではこれは良い考えだと思うことでも、本当は良くないことがたくさんあるんです。そこで全ての想いを「世界平和の祈り」の中へ入れ、そこから出る考えで動いていくようにすれば、自然と守護霊のみ心に適う方向に動いていくんです。

本気で本心開発を  
 
 ここで少し現実の話を取り上げましょう。以前、事業をやっている人が、全てを消えてゆく姿だと思っていたら儲けられないんじゃないかと質問した人がありましてね。儲けよう儲けなければと強く想うから、次々と考えも出てくるんではないか、ということですね。
 確かに、このやり方は念の法則によって一時的に儲かることもあるのですが、本心からの智慧ではありませんので、独創的な仕事を生み出せないんですね。他の人の真似事に終始してしまうんです。消えてゆく姿に徹するというのは、あらゆる想いの波に把われないで、本心の全能の智恵を唯一とするという、もっとも高度な生き方なんですね。その方は、そういう正しい理解が出来なかったんですね。本心の開発というのは何生かかってもいいんですよ。それぐらいの悠々とした気持ちでやっていけば、今生でも素晴らしい人生を送るでしょうね。
 つい先日、大相撲の秋場所が終わりましたけど、相撲を見ていると、把われの想いが少しでもあると本来の力が出ない、ということが良く分かりますね。大関の白鳳を見ていると、素質は実に素晴らしいものがあって、いつ横綱になっても不思議ではないんです。ところが、ここ最近、周囲から言われる様々な意見に振り回されて、稽古も充分じゃなかったんですね。その点、横綱の朝青龍は把われが他の人より少ないのと、本番に対する集中力がうんとあるんですよ。相撲の世界では三年先の稽古をすると言われてますけど、正にその通りで、黙々と積み重ねるだけなんですよ。

 私たちの生き方も、普段の稽古(訓練)が一番ですね。どういう風にするかと言うと、どんな想いが出ても、消えてゆくんだと思い定めて、「五井先生」の中へ、「世界平和の祈り」の中に入ってしまうんです。「あっ、消えた消えた」と思い、祈り心になるんです。守護霊、守護神様に感謝するんですね。「五井先生ありがとうございます」に切り替えてしまうんです。この日頃の稽古がしっかりしていると、咄嗟の場合でも、当意即妙の智恵が出てくるんですね。病気をしても、困難と思われることが出てきても、あまり怖がらなくなって、「世界平和の祈り」を根本にして様々な問題に対処できるわけです。日々の中で、しっかりした稽古をしながら、やっていきましょう。


(風韻誌2006年10月号掲載分より抜粋)

   元海先生法話

  1. 講話集
  2. 巻頭言
  3. コスモス問答
  4. 音声