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コスモス会は、五井先生提唱の「世界平和の祈り」を実践しているグループです


世界人類が平和でありますように

 新秋法話 日本の大調和精神   尾崎元海



 日本の天命

 五井先生は徹底的な平和論者で、そこから生まれ出たのが「消えてゆく姿で世界平和の祈り」の道です。現在の日本は、政治、経済、教育、文化などの様々な面において完全に頭打ちをしている状態です。国民の心がバラバラで、それぞれが自分の想いの満足という、小我を第一とした生き方をしております。欧米のエコノミストや経済学者は、日本の経済力はもう少し経つと、アメリカ、中国、インドの次あたりになると予告しています。このことは今の日本国民が未来に向かっての大きな目標を見失っている、という指摘でもあります。最近の少子化問題、人心の精神荒廃などを見ていますと、国民が確固たる信念がなく、その場その場が何とかなればいい、というような刹那的な思考に嵌りこみ、抜け出せないで踠(もが)いているという状況にあります。
 日本国の国民が、こういうことではいけません。日本は大和(だいわ)の国であって、大調和精神を我が心として生きる民族なのです。日本列島がそういう磁場になっているということを認めることが、現状を超える第一歩だと思います。アメリカや中国やロシアや北朝鮮がどう言ってこようと、ふらふらしてはいけないのです。そのためには、〝政治家にしっかりしてもらわないと〟という意見もありますが、実は一番しっかりしないといけないのは、国民一人一人なのです。
 五井先生が説かれた「世界平和の祈り」は、小我の自分が大我の自己へと変貌する易しい道です。自己の心を「世界人類が平和でありますように」と、平和の氣、大愛の氣で満たしていくことによって、本心(神我)の智慧、愛、勇氣などの無限力を受け取ることが出来るのであります。それは又、祈る人を通して大光明が日本中に響き渡っていくわけで、素晴らしい政治家を生みだす原動力にもなるのです。
 五井先生は『天の心かく在り』というご著書の中で、「日本には日本の道ありにけり 思想を超えし平和の祈り。日本は思想じゃないんです。イデオロギーじゃないんです。その本然の姿が、本心の姿がそのまま現れるのが平和の祈りなんです。…(中略)…日本の国民一人一人が、みんな想いを一つにして、平和の祈りに向かって進まなければダメなんです。大調和に向かって、神のみ心に向かって、平和の祈りに向かって進むのが、日本の天命なんです。」と仰っています。
 平和と言いますと、大半の人は、自分とはあまり関係がないというか、政治家や一部の人達が世界平和のために働くんだろう、というように思っている傾向がありますね。日本は広島、長崎に原爆の洗礼を受けた、世界唯一の被爆国です。戦争はどんなことがあってもしてはいけないという思いは、日本人の誰もが心の中に持っているはずです。その気持ちをそのままにしていたのでは大きな力にはなりません。そのままでは、肉体人間の願望に終わってしまいます。
 五井先生が提唱された「世界人類が平和でありますように」の祈り言は、〝天の心〟即ち、大神様の〝世界人類よ平和であれ〟という大御心が祈り言葉として表されたもので、無限の大光明であり、無限の大智慧・大能力なのであります。肉体人間が希求する世界の平和への想いが、大神様の人類救済の大光明と一つになるのが「世界平和の祈り」なのです。日本国という場を発信地として、全世界に平和の氣を響き渡らせることほど、大いなる愛の行為はありません。

 平和の心とは

 
 〝祈りの道〟というと、何か特殊な行為のように思っている人が多いようですね。宗教専門家や、宗教団体に属している人が、その団体が崇めている神仏に向かって祈願することも祈りの一つでしょうが、本来の祈りの姿というのはそうではありません。例えば、一輪の花に心が溶け入っている姿、一木一草を愛でている姿、朝日や夕日に対して敬虔な心で拝んでいる姿、赤ちゃんの無邪気な響きに同化している姿、あるいは素晴らしい音楽や絵画などの高度な芸術作品に心を一つにしている姿は、祈っている状態なのです。
 祈りというのは、神様から流れてきている生命の働きが真っ直ぐに現れていることなんです。天地万物のいのちを尊び、愛し、感謝している心の響きですね。こういうことが根本にあって日常生活を生きれば、周囲の人達に調和の響きが伝わっていきます。人間というのは、一人で生きていけるものではありません。たくさんの人の恩恵によって、無事この世に存在できるのです。
 最近は核家族化が進み、先人の知恵が若い年代層に伝わらず、様々な問題が起こっています。子育てや隣人との関係、生きることの大切さなど、日本人は今、本当に大事なことを見失ってしまうのではないかという現状にあります。平和の心、調和の心、生命を尊ぶ心、自然を愛する心こそ、人間が本来の姿を思い出してゆく根本の姿勢です。
 戦後六十年の歩みは、それまでにはなかった生活水準の向上というものを手に入れましたが、精神性の高まりとなると、考えさせられることが山積み状態です。確かに良くなった面も多々ありますが、このまま進んで行けば、日本人としての特性を無くしてしまうのでは、と思う方もたくさんいると思います。徹底した平和の心を、自己の生きる中心の柱として心に据えることは、本然の響きのまま生きるということになるのです。
 この大調和精神に立つことは、多様な智慧能力を限りなく受けるという、〝本来無限力〟への道なのです。これは又、人間生命を含む、万有万物への感謝の道ですが、これこそ様々な問題を解決し、日本国の独自性を発揮すると同時に、世界平和に貢献できる唯一の道です。「世界人類が平和でありますように」の言葉(心)を根本に生きる人が多ければ多いほど、素晴らしい未来が近いということになります。一人の人の生き方は万人に通じるということを、たくさんの方に体覚していただきたいと願うばかりです。


(風韻誌2005年9月号掲載分より抜粋)


   元海先生法話

  1. 講話集
  2. 巻頭言
  3. コスモス問答
  4. 音声