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コスモス会は、五井先生提唱の「世界平和の祈り」を実践しているグループです


世界人類が平和でありますように

 絆(きずな)の心を大切に   尾崎元海



 初冬の庭に山茶花(さざんか)が咲き、続いて椿が白い花を咲かせている。お隣の五、六本の大きなもみじの木が紅葉しはじめると、負けじと我が家の庭のもみじも赤く色付き出す。植える場所や日当たりによって色合いに違いがあり、早く散ったものから遅くまで葉っぱを残すものとそれぞれだが、二週間以上、色のバリエーションを楽しませてくれる。十二月上旬のこの時期は、強い風が吹くと雑木の枯れ葉と共に散紅葉(ちりもみじ)が庭いっぱいに散り敷かれる。もみじの赤く染まった葉が地上に落ちてゆく様子というのは、他の木々の落ち葉とはまた違った独特の風情(ふぜい)を見る者の心に伝えてくる。
 以前は散り急ぐ様子から、去りゆく秋への郷愁と相俟(あいま)って、過ぎ去りし人々への哀愁のように感じられたが、ここ最近は違ってきた。それは聞かれた人、読まれた人も多いと思うが、五井昌久先生作詞の『永遠(とわ)の光』の詩と曲調の響きの世界である。「しぜんにひらくはなのごと とききてめざむかみごころ いのりのみちはふかけれど やがていのちのいずみ得む」はその一節である。この直接的には結びつかない紅葉散るの姿と永遠の生命の道が、何故か私の心には一つとなって感じられてくる。先日も(コスモス会)合唱部の方の歌唱を聞いたが、その折の心の奥に染み入ってくる清らかな美しい響きと、もみじの葉が散った後から出ている新芽の瑞々しいいのちの息吹が、水面下で繋がっているように思われる。
 今年は三月の東日本大震災と原発の事故もあったこともあり、人間の生死と人生の途上の歩みについて考えさせられる一年であった。人はそれぞれ、ある年月日(ねんがっぴ)に、ある場所に誕生し、様々な人と係わって生きてゆく。私自身、振り返ってみれば少々変わった人生コースを歩んできたように思う。小青年期の大きく揺れ動いた時期と、二五歳で五井先生にお出会いしてからの歩みを思い起こすと、なんとも不思議なことであった。そのことはもちろん、二十歳からの精神遍歴の頃からの急速な守護霊様の導きがあってこそだが、なぜそうなったかは肉体側としては知るよしもなかった。その後、様々な経験を通過したが、今になって思うことは一切合財(いっさいがっさい)、守護の神霊が背後でコントロールされての日々であったことは間違いない。
 メンバーや読者の中にも、これまでの歩みに合点(がてん)がいかないと思う人もいるかもしれないが、少しでも人様のお役に立ちたいと思い続けていれば、必ず守護霊様は良き方向に導いて下さる。それとは別に、それほどの精神的な混乱もなく生活できてきた人は、よほど前生(ぜんしょう)の方に感謝しつつ、善行を積み重ねていくことが大事である。とにもかくにも、「世界平和の祈り」にご縁が繋がった人の人生は大丈夫であって、守護の神霊と救世の神々様からの智恵によって運ばれてゆくのである。あらゆる現象の奥に守護の神霊の慈愛の光があるのだから、何事があっても未来を悲観せず、善きように善きようにと考えて生きていただきたい。
 それと共に強く思うことは、たくさんの人々の恩恵によって無事に生かされているということである。このことは、そんなことは今さら言われなくても≠ニ思うだろうが、善悪を含む一切の出会いも又、天命完うの方向に生かされてゆく守護霊さんからの恩愛なのだ。守護霊様は我が子である人間を慈(いつく)しんでおられるわけで、絶対に悪いようにするわけがない≠ニ只々固く信じていくだけである。
 肉体人間の考えではその人の過去世からの歩みはわからないし、未来は当然わからない。そのことを考えると、肉体側がなすべきことは、各人の守護霊様に良き運命の方向に導いていただけるよう祈る以外にない。心に余裕のある方は、ご縁ある人々の天命完うを祈っていただきたい。人間は支えあってこそ、お互いが救われの道に入っていく。絆の心をしっかりもって、新しい年を迎えて下さることを祈るばかりである。


  椿の白い花を啄(ついば)む小鳥を愛(め)でつつ
   仁川・玄妙庵にて


(風韻誌2012年1月号掲載)


   元海先生法話

  1. 講話集
  2. 巻頭言
  3. コスモス問答
  4. 音声