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コスモス会は、五井先生提唱の「世界平和の祈り」を実践しているグループです


世界人類が平和でありますように

 私の歩みA 五井先生との出会い   尾崎元海



それから一年ぐらい経って、石原慎太郎の「巷(ちまた)の神々」という本を見つけ、何気なく読んでみたのですが、分厚い本の2ページほどの紹介で、千葉市市川市で「世界平和の祈り」を提唱されている五井先生に会いに行ったときのエピソードが書かれていました。その箇所を読んでいるうちに、どうしてもこの先生に会ってみたいという強い思いが湧き上がってきたわけです。これは本当に不思議というか、計り知れない智慧者の導きとしか言えないものでした。私は中学時代、石原裕次郎さんのファンであったので、兄の石原慎太郎さんの本を読んでみようと思ったわけです。21歳ごろ、岸和田市にもあった石原慎太郎後援会の会員にもなっていたこともあり、まあ読んでみてもよいかぐらいの気持ちで読んだ一冊の本が、私をそれまでとは全く違う方向に引っ張ってくれたことになります。

それから半年ほど後に、五井先生が書かれた「宗教問答」という本を見つけたのです。この本はむさぼるように読みました。何回読んだか、本もボロボロになっていました。その頃には、父も五井先生の本を読むようになっていたので、二人で競うように読み、その内容について毎日話すという日が続いたのです。読み続けているうちに、とにかく会いにいかなければと思い、白光真宏会の本部に手紙を書いたのです。手紙を出したものの、どこの馬の骨かわからない地方の青年が会いたいと言っても果たして大丈夫なのかと思っていたのですが、当時初代の理事長をされていた横関実さんが、ていねいな手紙を送って下さり、五井先生にお会いできるようにいたしますから、との返事を下さったのです。

あれは忘れもしない24歳の8月31日の午前11時頃だったと思います。秘書をされていた藤井道江さんが笑顔で迎えて下さり、控えの部屋で待つことになりました。c修庵のお庭が窓から見え、何とも言えない清々しく安心できる響きだったのを、今もはっきり覚えています。いよいよ私の番になり、襖を開け、「五井先生こんにちわ」と挨拶し部屋に入ると同時に、五井先生が明るい声で、「ああ、真宗のお坊さんが来られましたね」と声を掛けて下さったのです。当時は宗教的なことには無智な私でしたから、「ありゃ」と思いながら、父から依頼されたことを五井先生にお聞きしました。その間、私は五井先生をじっと見つめていたのですが、「何と懐かしい方なんだろう」という思いと、五井先生の全身から響き出ている無色透明の霊光の神秘さに、ただ呆然とするばかりでした。

この15分ほどのお出会いの後で、市川駅の近くにある新田道場へ、お世話になった横関さんに御礼に出向きました。江戸っ子の雰囲気をもった横関さんは、すぐに親しく感じ色々と話をしたのですが、その中で、「五井先生にお会いされてどうでした」との問に、私が、「五井先生は不思議な方で、光が吹き出ていらっしゃるんですね」と答えると、「尾崎さんは随分霊的な人なんだね」と言われたわけです。私は、どの人も五井先生に会ったら自分と同じように光が見えているんだろうと思っていたので、その話を聞いた途端、「へえ、私は霊的な体質なんだ」と初めて、自分が全く気付かなかった隠れた一面に気付かされたのです。

このことは後になってわかったのですが、私の守護神様が五井先生にお願いして下さって、神秘的な体験をさせて下さったわけで、その後の種々な霊的な体験の積み重ねも、全て守護の神霊と五井先生の御心があって、今日まで無事に来れたわけです。私は特別な才能もありませんでしたが、どういう形でもいいから人様のお役に立てれば、という強い信念で20代前半を生きていたわけです。表面の能力がないわけですから、奥から私を生かして下さる方に頼るしかなかったのです。実はその導きは守護霊様であったわけで、今から振り返ってみますと、何もかも、他力(守護霊様、守護神様、五井先生)の御蔭によって、今こうして元氣に活動させていただいているのです。 

私は意識的に霊的な世界を探求するということは、これまでも今もありません。守護の神霊が必要に応じて導いて下さっているので、お任せしているわけです。

五井先生にお会いしてから後も、様々な人生経験をしましたが、43歳頃、その頃やっていた人生相談で来られた人達が自然な形で祈りの道に入って来られ、コスモス会の原型のようなものが生まれたわけです。私は、五井先生の「世界平和の祈り」の神髄を一人でも多くの人達に体覚していただきたいという一念のみでやってきました。そうしながら、早、20年近くの月日が流れましたが、神様から示される霊的な仕事を根本に、より多くの人にお伝えしようと思っているわけです。私は別にコスモス会に入ってくれなければ、とは思っていません。五井先生と「世界平和の祈り」の道の真実を多くの人に知ってもらいたい。全託への道、五井先生への道を共に歩んでいきたいと思っているだけです。私はこれまで通り、「五井先生、どうぞ御心のままに」の姿勢でしか生きれませんので、全て神様の御心とお任せして、多くの人の神性自覚のお手伝いをさせていただきたいと思っております。


(風韻誌2006年8月号掲載)
 

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